1000万円という金額は、微妙な位置にある。途方もない大金、というほどではない。しかし、すぐに作れる金額でもない。車を買えば消える。住宅購入の頭金にすれば、十分とは言い切れない。子どもの教育費や老後資金まで考えると、1000万円だけで安心できるわけでもない。
それでも、資産形成において1000万円はひとつの大きな節目である。理由は単純で、桁が変わるからである。三桁万円から、四桁万円へ。この変化は、数字以上に心理的な意味が大きい。
J-FLECの「家計の金融行動に関する世論調査2025年」によると、二人以上世帯の金融資産保有額は平均1940万円、中央値720万円である。平均値は一部の高額資産世帯に引き上げられやすいため、生活実感に近いのは中央値の方だろう。そう考えると、1000万円は「平均には届かないが、中央値は超える」金額である。
もちろん、この数字には20代から70代までが含まれている。世帯主が70代の世帯と、結婚して間もない30代夫婦を同じ土俵で見ると、少し話が雑になる。若い世帯にとっての1000万円は、もっと遠い。少なくとも、自分にとってはそうだった。年間100万円を貯めても10年かかる。つまり1000万円とは、偶然余ったお金でできる額ではない。数年単位で、生活の構造を変えないと届かない額である。そして、我が家にとっての最初の1000万円も、そういう金額だった。
最初の500万円は、住宅購入のためだった
我が家の資産形成は、最初から投資で増やす話ではなかった。最初に必要だったのは、住宅購入のための頭金だった。以前の記事でも書いたように、資産が500万円を突破したのは、2005年から3年ほど経った頃である。

当時の目的は、はっきりしていた。家を買うためである。2008年、28歳で築30年の中古住宅を購入した。価格は1250万円。そこに頭金として500万円を入れ、住宅ローンの借入額は750万円に抑えた。
このときの500万円は、眺めるためのお金ではなかった。低い住宅ローンに変えるためのお金だった。借入額を抑え、毎月の固定費を軽くする。その後も貯蓄を続けられる余白を残す。つまり、最初の500万円は、生活設計を軽くするための土台だった。
ここは、1000万円とは少し意味が違う。500万円は、住宅購入を現実的にするためのお金だった。1000万円は、その後も自分たちが貯め続けられると確認するための金額だった。
資産形成は絶望から始まった
資産形成は、始まりは絶望だった。大学卒業後、最初に就職したのは大手IT企業の子会社だった。そこから1年半で転職し、大手製造業に入った。同じ頃、当時付き合っていた彼女と結婚した。大手企業に転職したことで、少し安心していた。
そこそこの給与をもらえるようになった。結婚もした。普通に働いていれば、普通の生活くらいはできるだろうと思っていた。しかし、結婚して夫婦の生活が始まると、すぐに現実が見えた。マイホームは無理だ。もちろん、完全に無理ではない。一生働き続ける前提なら、買えるかもしれない。会社にしがみつき、ボーナスをあてにし、定年まで何も起きないことにすれば、計算上は成立する。

しかし、それは自分にとって気持ちのよい選択ではなかった。マイホームのために、会社の言いなりになる。その構造が嫌だった。この違和感が、資産形成の出発点だった。
先取りで貯めることにした
そこで、先取りで貯めることにした。最初は、給与から毎月3万円。加えて、ボーナス手取りの半分を積み立てた。
目的は住宅購入だった。特別な投資理論があったわけではない。ただ、給料をもらって、使って、残ったら貯める、という流れでは何も残らないことだけはわかっていた。だから、先取りで預金し、残りで暮らした。
その後、妻が働きに出てからは、夫婦で毎月10万円を積み立てることにした。ボーナスもできるだけ積み立てる。今から見ると、かなり単純な計画である。しかし、単純だから続いたとも言える。住宅購入のために始めた先取り貯蓄だったが、この仕組みは住宅を買ったあとにも残った。
ここが大きかった。一度、貯める流れを家計の中に組み込むと、それは習慣になる。毎月貯めるかどうかを考えない。最初から使えるお金に入れない。判断を減らす。この地味な仕組みが、500万円を作り、その後の1000万円にもつながった。
100万円ずつ積み上げる感覚
資産形成といっても、派手なことは何もしていない。100万円をひとつの塊として積み上げていく。100万円、200万円、300万円。数字が増えるたびに、少しだけ足場が高くなる感じがあった。500万円までは、住宅購入の頭金という意味が強かった。ただ、その後も貯蓄を続けていくと、少しずつ感覚が変わっていった。

住宅のためだけではない。生活全体の自由度を上げるためのお金になっていく。純資産が1000万円に到達したのは2014年だった。そのときは、素直に嬉しかった。大台に乗った。
そして何より、桁が変わった。三桁万円から四桁万円へ。ただ数字が増えただけなのだが、受ける印象はかなり違った。自分たちの生活が、ようやく少しだけ別の段階に入ったように感じた。
1000万円で得た自信
1000万円に到達して大きかったのは、お金そのものだけではない。頑張れば貯められる、という自信が得られたことが大きかった。500万円を貯めたときにも、もちろん手応えはあった。ただ、その500万円は住宅購入の頭金として使うことが決まっていた。目的が明確だった分、資産として眺める感覚は薄かった。一方で、1000万円は違った。
自分たちの生活の延長線上に、四桁万円の純資産を作れた。それまでは、1000万円という数字は遠かった。生活の延長線上にあるようで、どこか現実味がなかった。しかし、毎月の積み立てを続け、ボーナスを使い切らず、100万円ずつ積み上げていくと、そこにはちゃんと到達できた。
一度到達できると、次の1000万円も、まったく不可能な数字には見えなくなる。資産形成において、この感覚はかなり重要である。数字が大きくなるほど、必要なのは根性ではなく、到達可能だと思える感覚である。最初の1000万円は、その感覚を作ってくれた。
少額で価格変動に慣れた
もうひとつ大きかったのは、少額で投資を経験できたことだった。当時の資産のうち、250万円ほどは投資に回していた。500万円を作る段階では、投資はまだ中心ではなかった。月1万円程度の個別株を少しやっていたが、あくまで経験に近いものだった。そこから少しずつ投資額が増え、1000万円に到達する頃には、資産の一部を運用する形になっていた。
その中で、リーマン・ショックを含む価格変動も経験した。もちろん、資産が減るのは気持ちのよいものではない。画面上の数字が一気に減る。昨日まであったはずのお金が、今日には減っている。理屈ではわかっていても、実際に見るとそれなりに怖い。ただ、少額で経験できたことは大きかった。
投資の価格変動は、本で読むのと、自分のお金で受け止めるのとではまったく違う。資産が一気に減る怖さにも、少しずつ慣れていった。この「慣れ」は、後の資産形成にかなり効いた。
その後、純資産はマイナスになった
もちろん、その後に新築の注文住宅を建てたので、資産は一気に減った。住宅ローンで借金は2000万円になり、純資産はマイナスになった。せっかく1000万円を超えたのに、数字上は振り出し以下である(笑)。
それでも、最初の1000万円には意味があった。お金そのものよりも、貯める構造ができていたからである。先に貯める。夫婦で目標を共有する。収入が増えても全部使わない。純資産で家計を見る。価格変動にも少しずつ慣れる。
この感覚が残った。だから、純資産が一時的にマイナスになっても、完全に終わった感じはしなかった。
最初の1000万円は足場だった
資産形成とは、我慢大会ではない。自分の人生を、会社や住宅ローンに丸ごと預けないための設計である。最初の500万円は、住宅購入の負担を軽くするための土台だった。最初の1000万円は、自分たちにも貯められるという自信を作る足場だった。
