就職氷河期真っ只中の就職活動と転職(退職まで3,174日)

2003年、地方の国立大学・理学部を卒業した。あの頃の空気を、今でもときどき思い出す。派遣社員になる人、大学院に逃げる人、あるいは給料が安い職にとりあえず就くか。「選ぶ」というより、「残っているものに入る」という感覚に近かった。これ、地方の「国立大学」の「理学部」の就職状況です。当時は周りでも全然決まらなくて、買い手市場だった。

大学で学んだこと?正直に言えば、その時点ではほとんど役に立たなかった。専門性なんて言葉は、あの状況では少し遠い世界の話で、学部で何をやったかより、「どこでもいいから拾ってもらえるか」の方が重要だった。

自分も例外ではなく、20社ほどエントリーシートを出した。大手企業思考の友人は、50社ほど出したが、全滅だったらしい。私が書類を通過したのは3社だけ。

ひとつは大手メーカーの工場ライン。
ひとつは名古屋にあるJASDAQ上場企業(今でいう東証グロース市場)で、いわゆるブラック企業。
そしてもうひとつが、大手IT企業の子会社だった。

なぜそこに通ったのかは、今でも少し不思議だが、当時、お金を稼ぐためにやっていたことが関係していたと思う。すなわち、ホームページ作ります、っていう営業をして、実際にホームページを作って、自宅にサーバを立てて、そのスペースを貸し出して、細々とWeb運営をしていた(稼いだお金は全部、車に使ってしまったが)。

理学部とはまったく関係のないことだけど、たぶんその「何かやっている感じ」が引っかかったのだろう。そうして、なんとかその大手IT企業の子会社に就職した。地元に本社があり、実家から通えるのも良かったし、当時同棲していた彼女(=現在の奥さん)のアパートからも近かった。

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転職の機会と地方移住

1年ほど経った頃、その子会社から本社への転籍となり、東京勤務になった。普通に考えれば、良い話だと思う。住居費も支払ってくれた。ただ、自分はどうしても東京周辺の都会が好きになれなかった。彼女との遠距離恋愛を続けていたのも苦痛だったし、当時、大好きだった車を手放すのも嫌だった。そんな単純な理由で、(名前は誰もが知っているだろう)製造業の大手企業にアプローチしてみたところ、奇跡的に転職が決まった。

周囲は心配した。特に今は亡き祖父は強く反対していたのを覚えている。
「やっと入れた大手企業を辞めるなんて」「転職者は出世できない」
当時は、そういう価値観がまだ当たり前だった。

会社の引き止めも「転職は逃げだ」から始まり、「どこへ行っても通用しないぞ」なんて言う感じ。今更ながら、転職してよかったと思う(笑)。転職先では、気づけば20年ほど働いている。

新しい会社で、私を採用してくれた当時の上司に「なんで私なんかを採ったんでしょうか?もっと優秀な人がいっぱいいたはずですが?」と聞いたところ、「キャラ採用」だったらしい。もうこれって、本当に縁とか運なんだと思う。これがなければ、私はまだ、東京の大手IT企業で働いたのだろうか。

幸せの形は人それぞれだと思う。都会での生活が苦痛な私は、生活コストが低い地方で、製造業の研究開発職という理想的な環境を手に入れることができた。

転職をきっかけに、地方に移住するのを期に、結婚。24歳での結婚は、当時でも少し早い方だったと思う。共働きで、特別なことはせず、コツコツと生活を積み上げていった。資産形成の話は、また別の機会に。

今は時代が変わった。転職は珍しいものではなくなり、むしろキャリアを作る上での一つの手段になっている。収入を上げるため、理想の生活を手にするために転職する、という考え方も普通だ。

だからこそ思う。あの頃のように「しがみつくしかない」時代ではないのだから、転職はもっと積極的に使っていい。逃げではなく、選択として。そう考えられる今の環境は、少しうらやましくもある。

ちょっと古い話でした。

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