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我が家の純金融資産が1,000万円を超えたのは、2021年2月のことだった。純金融資産がいったん0円になってから、約1年半後のことになる。
純金融資産額:世帯が保有している日本円、米ドル、国内株式、外国株式、国内債券、外国債券、年金、コモディティの総額から、負債(住宅ローンやカード残高)を引いたもので、集計当日の円換算時価総額で表すことにする。不動産、自動車、事業用資産の時価を含めない。
キリの良い資産額に到達したときの感想と、1,000万円到達時の感想
純金融資産で計算しない場合に振り返りはこちら。

1,000万円という数字には、どこか区切りのような響きがある。
100万円を達成したとき(こちら)はときは、まず貯められたことがうれしかった。
500万円を達成したとき(こちら)、家を買うという選択肢が少し現実になった。
そして1,000万円になると、少しだけ資産形成の見え方が変わった。ただ、今振り返っても、1,000万円で人生が変わったという感覚はない。会社を辞められるわけではない。住宅ローンが消えるわけでもない。教育費の不安がなくなるわけでもない。
それでも、0円からもう一度積み上げて1,000万円まで戻ってきたことには、それなりの意味があったと思う。純金融資産が0円というのは、貯金や投資信託などの金融資産と、住宅ローン残高がほぼ同じになった状態だった。それが2019年の夏だった。
住宅ローンを「その気になれば返せるところまで来た」となった際に、大きな達成感を感じたのを覚えている。変動金利で住宅ローンを抱えていたため、当時は生活防衛資金と、金利が急上昇した際に破綻しないように、現金で多くの資産を持っていた。その時は「今後住宅ローンはなんとかなるし、妻と子どもに家は残せる」という安堵感が大きかった。
今思うと、この頃の資産形成は、かなり守りの感情が強かった。お金を増やして何かを買いたいというより、家族の生活を崩したくなかった。変動金利で住宅ローンを借りていたこともあり、金利が上がったときに家計が耐えられるのか、どこかでいつも気にしていた。
だから、住宅ローン残高と金融資産が並んだときの安心感は大きかった。数字の上では純金融資産0円なのに、不思議と「またゼロからか」という感じはなかった。むしろ、ここから先は少し攻めてもいいのかもしれない、という気持ちが出てきた。
もちろん、今の自分から見ると、まだまだ慎重すぎた部分もある。
ただ、家族がいて、住宅ローンがあって、会社員として働いていると、まず守りを固めたくなるのは自然なことだったのだと思う。
その後、現金で積み上げた額はキープしつつ、以降の余剰資金は、できるだけ投資信託へ回すことにし、コツコツと続け、2年後にリスク資産(株・投資信託・債券・コモディティ)が1,000万円を突破した。
毎月市場の増減がある中で、投資信託を淡々と積み上げるスタイル
投資額が大きくなってくると、1カ月の値動きが給料より大きくなることもある。それでも、相場が下がっていれば安く買えていると考え、上がっているときは長い目で見れば途中の価格にすぎないので、一喜一憂しすぎなくてもいいはずだと考えていた。
ただ、「淡々と」という言葉は、実際にはそれほど簡単ではない。相場が下がると、もう少し待った方がいいのではないかと思う。逆に相場が上がると、今から買うのは高すぎるのではないかとも思う。
結局、どちらに動いても迷いは出る。だから、自分の場合は、あまり考えすぎない仕組みに寄せた。毎月の積立を続ける。ボーナスからも入金する。市場のタイミングを当てにいかない。それが最も合理的だったかどうかは分からないが、少なくとも自分には続けやすかった。投資で勝とうというより、途中でやめないことを優先していたのだと思う。
2021年に純金融資産額が1,000万円を突破
複利を実感する額となると、大体これくらいからだと思われる。仮に年数%で動くだけでも、1,000万円という元本があると、年間ではそれなりの金額になる。この頃から、複利という言葉を少しだけ現実のものとして感じるようになった。
実際は、コロナショックなどがあり、その間は資産は減ることになったが、特に気にせず世界の成長を信じて投資を続けた。特に、コロナショックの際には、世界規模の経済減速が叫ばれたが、私は「必ず誰かが解決をし、経済活動を止めずに、発展させてくれる」という超絶他人依存の戦略にかけた。すなわち、淡々と購入を進めた。
自分に世界経済の先行きを読む力はない。
ワクチンを作ることもできない。
金融政策を決めることもできない。
企業の経営判断に関わることもできない。
できることは、毎月の入金を止めないことくらいだった。もちろん、それが正解だったと簡単には言えない。
結果的にその後の相場が回復したから、今はそう振り返ることができているだけでもある。それでも、あのときに積立を止めなかった経験は、その後の資産形成にとって大きかった。下がっているときにも買い続けるというのは、頭で理解するのと、実際に自分のお金でやるのとでは少し違う。
結果として、2021年2月に純金融資産は1,000万円を超えた。何か特別なことをした感覚はあまりない。強いて言えば、生活を急に膨らませなかったことは大きかったのかもしれない。
収入が入ったら、まず少し先の自分たちに回す。残った範囲で生活する。ボーナスが入っても、全部は使わない。書いてしまうと地味だが、最初の100万円も、500万円も、今回の純金融資産1,000万円も、結局はその延長線上にあった。
投資の才能があったわけではない。相場を読めたわけでもない。ただ、毎月の積立とボーナス入金を、何とか生活の中に残し続けた。振り返ると、資産形成で一番効いたのは、派手な判断ではなく、この地味な習慣だったのかもしれない。
1,000万円で、値動きの見え方が変わった
純金融資産が1,000万円を超えると、資産の増減の見え方が少し変わった。
1%動けば10万円。
3%動けば30万円。
5%動けば50万円。
身も蓋もないが、月給より大きい金額が、何もしなくても増えたり減ったりする。自分が働いて得たお金よりも、画面上の数字の変化の方が大きい。最初は少し怖かったが続けていると、結局慣れるものだ。それは資産形成が進んだ証拠でもあるのだろうけれど、自分ではコントロールできないものに乗っている感覚もあった。
この頃から、複利という言葉を少しだけ現実のものとして感じるようになった。もちろん、毎年きれいに増えるわけではない。下がる月も普通にある。積み立てた分以上に減っている月もあった。それでも、資産額がある程度の大きさになると、自分の入金だけではなく、資産そのものが増減する力を持ち始める。
この感覚は、うれしさと怖さが半分ずつだったし、このあたりから、お金に対する感覚も少し変わった。それまでは、働いて入金することが資産形成の中心だった。給料からいくら残せるか。ボーナスをどれくらい使わずに済むか。家計をどれくらい抑えられるか。もちろん、それは今でも大事だ。
ただ、1,000万円を超えると、自分が働いて増やす部分と、資産そのものが増減する部分の両方を見るようになった。これは安心でもあり、不安でもあった。会社員として毎月給料をもらうことの安定感。一方で、資産が自分の労働とは別に動いていく感覚。その両方を初めて意識したのが、純金融資産1,000万円の頃だった気がする。
自由ではないが、足場にはなった
正直、純金融資産1,000万円に届けば、もう少し気持ちが楽になると思っていた。
たしかに、楽になった部分はある。急な出費への怖さは少し減った。投資を続けることへの抵抗も小さくなった。家計が一度崩れても、すぐに詰むわけではないと思えるようになった。でも、それで自由になったわけではなかった。
朝は相変わらず重い。会社の評価も気になる。住宅ローンも教育費も残っている。
1,000万円により、たしかに、急な出費への怖さは少し減った。投資を続けることへの抵抗も小さくなった。でも、朝は相変わらず重い。住宅ローンも教育費も残っている。
純金融資産1,000万円は、ゴールではなかったが、自分にとっては、会社に人生を預けきらないための最初の足場だったのだと思う。資産形成は、人生の答えをくれるわけではない。それでも、選択肢を少しだけ残してくれる。1,000万円という数字は、そのことを初めて少しだけ実感した節目だったのかもしれない。
0円から1,000万円まで戻ってこられた。住宅ローンを抱えながらでも、家族で生活しながらでも、積み上げることはできた。その実感は、その後の資産形成を続けるうえでかなり大きかった。さらに、これをあと10回積み上げれば、純金融資産1億円に届く。そう考えると、富裕層という数字も、まったく別世界のものではないように少しだけ見えた。
まとめ
純金融資産が0円になったとき、見た目の数字だけでいえば、また振り出しに戻ったようにも見えた。ただ、実際にはそうではなかった。住宅を持ち、住宅ローンと向き合い、生活防衛資金を残しながら、少しずつ投資信託を積み上げていった。その結果として、2021年2月に純金融資産1,000万円を超えることができた。
1,000万円で人生が変わったわけではない。会社を辞められるわけでもないし、家族の将来がすべて安心になったわけでもない。それでも、会社に人生を預けきらないための足場は、少しだけできた。
あと同じことを10回繰り返せば、純金融資産1億円。もちろん、現実はそんなに単純ではない。相場もあるし、教育費もあるし、家族の状況も変わる。それでも、1,000万円という最初の大きな節目を超えたことで、自分の中に小さな確信のようなものは残った。
資産形成は、人生の答えをくれるわけではない。ただ、選択肢を少しだけ増やしてくれる。たぶん、自分が欲しかったのは完全な自由ではなく、会社との距離を少しずつ選べる余白だったのだと思う。
