自分の成長を会社の定義に預けることにはコミットしない

【退職まで3,120日】

ボーナスの季節になった。評価のフィードバック。

期待すること。期待していたこと。それに対して、どのくらい応えることができたか。そういった会社からの期待を、ボーナス時の面談を通じて伝えられる人も多いのではないだろうか。その中で、よく出てくる言葉がある。

「成長」だ。もっと成長してほしい。次の役割を意識してほしい。視座を上げてほしい。リーダーシップを発揮してほしい。今の延長ではなく、もう一段上を目指してほしい。どれも、会社側から見れば自然な言葉だと思う。ただ最近、この「成長」という言葉を、昔ほど素直には受け取れなくなってきた、という話。

目次

なぜ、会社は常に成長を期待するのか

一般的に、資本主義経済の中で、企業は成長を期待される。株主からの期待があり、銀行からの借入があり、市場からの資金調達があり、その資金を使って投資を行い、利益を増やしていくことが求められる。例えば、今年10億円の利益が出た会社であれば、株主はその利益を受け取りつつ、来年以降も会社が設備投資や事業投資を行い、より多くの利益を生み出すことを望む。

身も蓋もないが、会社は基本的に、昨日と同じ規模で満足する存在ではない。会社が成長を求められる以上、その中で働く従業員もまた、成長を求められる。専門スキルは業種によって違う。ただ、今持っているスキルを維持するだけではなく、新しいスキルを身につけること。組織を動かす力を持つこと。後輩を育てること。会社の変化に合わせて、自分自身も変わること。最近では「リスキリング」という言葉もよく聞くようになった。

時間とともに陳腐化していく技術を、新しい技術を学ぶことで補い、再び戦力として活かしていく。考え方としては、たしかに理解できる。

人事評価の中でも、成果だけではなく「成長意欲」が見られる。制度としては自然なことだと思う。
会社は、社員が次の役割に向かって伸びていくことを期待する。そして、会社の期待と個人の方向性が合っている場合、それはかなり強いインセンティブになる。

自己決定理論という考え方では、人の動機づけには、自律性、有能感、関係性といった要素が関わるとされている。仕事の中で、自分で選んでいる感覚があり、力がついている実感があり、周囲との関係性も悪くないのであれば、会社から求められる成長は、たしかに前向きなものになり得る。会社の期待に応えることが、自分の成長にもなる。

会社の期待に応えて成長してきた従業員は幸せだろうか?

給与という面では、会社の求める評価指標に沿って自己研鑽を積み、成果を上げた従業員のほうが、他の従業員よりも高く評価されやすいだろう。特に、自分の突き詰めたい分野や興味のある分野と、会社の期待する成長の方向性が一致する場合、Win-Winの関係になるだろう。

会社の期待に応え、それが自分の成長につながり、その成長の果実を会社に還元する。私も数年前まではそんな従業員だった。

若いうちは技術スキルを学び、業務に活かし、成果を出そうとしていた。30代になると、徐々にマネジメントスキルに軸足が移っていった。チームを動かし、会社独自のプロセスに応え、上位者が求める形で仕事を前に進めることが、自分のスキルアップにもつながると考えていた。おかげで、40歳くらいまで出世も順調だった。
可処分所得も増えて、投資する額も年々増えていった。

たぶん、その頃の私は、会社の言う「成長」と、自分の人生の方向性がそれなりに重なっていたのだと思う。だから、多少の理不尽も飲み込めた。会社の評価制度に合わせて自分を変形させることにも、そこまで大きな違和感はなかった。

今まで続けてきた株式投資の結果も積み上がってくると、今までは当然と思っていた、会社でのちょっとしたことで、自分のモチベーションが「すぅ~っ」と消えていく事に気がついた。例えば、

  • 稟議書を通すためのハンコ集め
  • 海外出張をするための必要性を説明するための資料作成と、承認者のスケジュール予約
  • 毎年毎年、少しずつ改悪が進む福利厚生
  • 意味不明の定例会
  • 報告会とミーティングでみっちり埋まった上位職のスケジュール

こんなこと、どこの会社でも当たり前にある話だろう。夢と希望を持って入社した会社とのアライメントが、少しずつ狂ってきたことを実感した。

会社との関係は、雇用主と従業員だ

今の自分のスキルや収入が、会社員としての経験の上にあることも分かっている。ただ、それでも雇用契約に基づいて働いている従業員であることに変わりはない。

その中で、上に書いたような「ちょっとしたこと」が積み上がり、ある時から完全にやる気をなくしていった。私の場合、特に効いたのは、毎年少しずつ改悪が進む福利厚生だった。会社としては有効な経費削減なのだろう。実際、経費削減の効果はあるのだと思う。

ただ、その結果として、私のエンゲージメントはかなり低下した。いや、まさかそれですか。自分でも少し不思議に思うが、そうなんだから仕方ない。何故かを考えてみた。

「自分が雑に扱われている」という感覚はモチベーション低下効果が絶大

自分の価値がぞんざいに扱われていると思った瞬間に、人は離れていく。人からも、会社からも。

これまでと同じように貢献し、これからも会社のために働きたい、ここで自己実現をしたい。そういうエンゲージメントを維持するためのコストは、会社も支払うべきなのだと思う。自分は優秀で会社に高い貢献をしているとは思わないが、その他の優秀な人はどんどん会社を離れていく。要は、ライバル社のよい踏み台、よい養殖場となるだろう。

余談だが、子どもを育てるようになって、いわゆる「高所得者」とされる子育て世帯への国の対応にも、少し似たものを感じる。結果、逃げおおせることができる人材が逃げ(そういう人は優秀な人が多い)、残った人でなんとかしてください、という社会になるのが怖いね。

会社が当然のように要求してくる自己変形コストは支払わない

話をもとに戻すと、これまで述べてきた原因でモチベーションが低下した社員はどうするだろうか?

退職して、自分の可能性を試す選択肢もあろう。しかし、必要十分な資産を形成した後に、そこそこの給与を得られるのであれば、現在の職場にとどまりつつ、会社に貢献するという選択肢もあるだろう。

会社に貢献しないとは言っていない

今まで、会社の期待に応え続けたサラリーマンである。会社の業務推進に必要なコツや、内部知識、会社理念を十分理解している中堅からベテランに差しかかりつつある社員である。後進の育成、プロセス改善、上位層が知りたいポイントを熟知しているのだ。なお、やる気はない。

さて、この社員を不要などと誰が言い切れよう。ただ、会社側の言葉に翻訳されると、「成長意欲の欠如・モチベーションの低下・上昇志向がない」とみなされる向きもあるだろう。

会社にとっては、従業員の成長意欲やポテンシャルは自然な指標だと思う。組織は、昨日と同じことだけをする人より、明日の役割に合わせて変化できる人を必要とする。

ただし、それをそのまま自分の人生の言葉として受け取る必要はない。会社が言う成長と、自分にとっての成長は、途中までは重なる。でも、いつかズレることがある。

そのズレが起きたとき、会社からは「成長意欲の欠如」に見える。でも自分の中で起きていることは、少し違う。成長したくないのではない。会社が成長と呼ぶ方向に、自分の人生を差し出すことをやめただけだ。

まとめ

10代から20代の頃、一度、どうなりたいかを定義する期間があるだろう。まっさらな状態から、自分の人生の方向性を決め、流され、とどまり、根を張り、様々な紆余曲折の末、成長を続ける。

40歳(不惑)から、50歳(知命)へと移り変わる今、自分が今までを振り返って、これからどうなりたいかを再定義する時期になってきたんだと実感する。

富裕層まで、あと、1,300万円。もちろん、この数字に到達したからといって、急に人生の答えが出るわけではない。投資の結果は将来を保証するものではないし、家族の状況によって必要なお金も変わる。

それでも、資産形成を続けてきたことで、会社との距離感を少しだけ自分で考えられるようになった。会社の定義する成長に、完全にはコミットしない。会社に貢献しながらも、自分の成長の定義までは預けない。たぶん今の自分に必要なのは、そういう中途半端な距離感なのだと思う。

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