私が投資を始めたきっかけと、同僚だったKMさんの話

【退職まで3,101日】

私が投資を始めたのは、2006年頃のことだ。

ただ、正確に言えば、それ以前から投資との接点はあった。子どもの頃のお年玉、証券会社に勤めていた叔母、新聞の株式欄を読んでいた祖父、大学入学時に母から引き継いだ証券口座。自分の意思で投資を始める前から、私の周りには、投資や資産運用に関する小さな記憶がいくつか残っていた。そして社会人になってから、同僚だったKMさんと出会った。

この記事では、私が投資を始めたきっかけと、今の投資方針の原点になった同僚KMさんとの話を振り返ってみたい。

目次

投資との最初の接点は、お年玉

私が「能動的」に投資を始めたのは、社会人になってからのことだった。それまで、我が家ではお年玉は「親が預かっておく」というシステムだった。ただ、そのお年玉は、証券会社に勤めていた叔母の勧めにより、国債や株式で運用されていたようだ。

「ようだ」と書くのは、今となっては記憶が曖昧だからである。ただ、大学に入学するタイミングで、母親と一緒に証券会社の窓口に行ったことは覚えている。そこで、それまで運用されていたものをすべて手仕舞いし、私名義の証券口座と現金を引き継いだ。100万円ほどだったと記憶している。

母としては、「これからは自分で考えて運用しなさい」という意図だったのだろう。しかし、当時の私は株式投資などしたことがなかったし、そもそもどうやって買えばよいのかも分からなかった。結局、そのお金は社会人になるまで、ほとんどそのままMMFとして置かれ続けた。

学生なりに物欲はあった。欲しいものもあった。でも、欲しいものはアルバイトをして買った。このお金には、どうしても手を付けられなかった。なんというか、自分の人生と一緒に積み上がってきたもののような気がしていたのだ。簡単に使ってはいけないお金。そういう感覚があった。

そして今、私は結局、自分の親と同じようなことを子どもにしている。子どもの教育資金を株式で運用している話は、以前の記事でも書いた。

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祖父が読んでいた新聞の株式欄

私が投資に興味を持ったきっかけには、祖父の存在もある。私が小学生の頃、祖父はよく新聞の株式欄を読んでいた。何やらいろいろとチェックしていたのを覚えている。

最近は新聞を取る人も少ないと思うので、株式欄と言っても伝わりにくいかもしれない。当時の新聞には、上場企業の株価と前日比が見開きでびっしり載っていた。細かい文字が、紙面いっぱいに並んでいた。

祖父とは、私が社会人になってから投資の話をするようになった。祖父に自分のポートフォリオや保有銘柄の話をすると、どこか嬉しそうだった。祖父も個別株をやっていたらしい。ただ、私は怖かったので、学生時代に自分で個別株を買ってみようとは思わなかった。結局、大学入学時に引き継いだそのお金は、結婚や引っ越しの費用、そして最初の個別株投資の原資になった。

社会人になって投資を始める

その後、2006年。社会人になって再度投資を始めていく。そこで知り合ったのが、同僚のKMさんだ。

彼は変わった人だったが、家族以外で唯一、お金の話を相談できる人だった。一緒に旅行にったり、飲みに行ったりする仲だったが、部署が変わってからは疎遠になってしまった。そんな彼は、風の噂によると50歳手前でFIREしたらしい。

彼は、中途採用で同じ月に入社した同期で、年齢は2つか3つほど上、彼のほうが社会人経験が長く、大人に見えた。2006年頃、NISA制度もなく、株式投資をしている人などほぼおらず、私は投資を始めたばかりだった。株式投資なんてほぼギャンブル、みたいな考えの人も多かった。

KMさんとの最初の投資の会話

確か、昼食時のニュース番組か何かで、トルコリラの暴落の話が出たときに、KMさんがガッツリ画面を見ていて、「興味あるの?」的なことを聞いたのがきっかけだった。話を聞くと、トルコリラの金利が高くて、200万ほど入れておくと年間40万くらいになる、みたいな話だった。

もちろん、その分リスクも高い。私は怖くて手を出すことはなかった。ただ、その話の流れで、KMさんは中央銀行がどのように通貨を発行し、信用を拡大し、それによって長期的には株式市場が上昇していく可能性がある、という話をしてくれた。彼にとって、トルコリラは「お楽しみ」系の投資だった。よくよく聞くと、彼の本命は、日本の個別株への分散投資とバイ・アンド・ホールドだった。

彼は、投資人生の中で株を売却したことは一度もない、と言っていた。

当時の私は、まだ投資方針が定まっていなかった

当時の私は、右も左もわからない駆け出し。チャート分析をもとにしたスイングトレードに挑戦したり、理論株価でバリュー株を探したりしていた。投資方針も定まっていない、完全な初心者だった。だから、KMさんの言葉は、そのときの私にはほとんど届かなかった。

けれど、それから数年が経ち、私自身も資産形成を目的とした長期投資を本格的に行うようになると、少しずつ彼の言葉の意味が分かるようになっていった。私の投資スタイルも、長期投資のバイ・アンド・ホールドへと変わっていき、日々の値動きはチェックするものの、頻繁に売買することもなくなった。

投資の話は、やがて経済や人生の話になった

KMさんとの話題も、だんだん変わっていった。握力を高める方法。入金力の上げ方。節約の考え方。なぜ資本は拡大し続けるのか。税金は投資成績にどう影響するのか。株式市場が長期では上昇していくと考えられる根拠は何なのか。

今でこそ金融教育の基本とされるような考え方を、当時の私たちは、昼休みや飲み会の中で話していた。

私の投資戦略「私たちを取り巻くいろんな問題は、困難で複雑だ。だけど、なんやかんやあっても、長期的には『明日は今日よりいい明日になる』と信じる。世界中の人が知恵を出し、努力し、解決策を考え、希望を持ち、それを実現していくことに賭ける。」この考え方の土台には、KMさんとの当時のディスカッションがある。

本質的には、人の欲望が前向きに使われることを楽観的に信じるということだと思う。人の叡智と努力をリスペクトし、そこに賭ける。そう考えるようになった。

投資戦略が定まっていくのと並行して、私はすっかり投資信託と長期投資の信者になった。入金力を高めながら、個別株も、海外株も、投資信託も、基本的にはバイ・アンド・ホールドする。その投資スタイルは、この頃に身についたものだ。

まとめ

長い間、議論を通して構築した投資戦略はシンプルだけど、私はずっとこれでやっている。きっと、先輩のKMさんはもっと大きな資産を構築していることだろう。

KMさんが、今どこで何をしているのかは分からない。ただ、奥様とお子さんと、幸せで平穏な日々を過ごしていることを願っている。KMさんとの会話は、今の私の今の私の投資方針は、全世界に分散し、長期で持ち続けるという、ごく普通のものだ。

ただ、その「普通」にたどり着くまでには、祖父が読んでいた新聞の株式欄があり、母から引き継いだ100万円があり、そしてKMさんとの昼休みの会話があった。

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