以前、ある部署に費用関連の確認をしたときに、「過去に実績がないので難しいですね」と言われたことがある。確認した内容自体は、大した話ではない。新規事業でもないし、大きな投資判断でもない。福利厚生まわりの費用について確認しただけである。たかだか数万円の話である。それに対して、「過去に実績がない」である。いや、そんなところでそれを言うのか、と。
普段は何を言っていたのか
少し呆れた。その部署のスローガンでは、最適を見直し続けることが大事だとか、変えることが大事だとか、そういうことを言っていたはずである。
それなのに、福利厚生関連費用の確認みたいな小さい話で、「過去に実績がない」となる。
だが、実際にやっていることは、考えることをやめているだけだったりする。
小さい話なのに、よく見える
別に、この確認自体が特別大事だったわけではない。たかだか数万円の費用の確認である。だが、こういう小さいところで出る反応は、妙によく見える。ああ、そういう感じなのだなと思う。
立派なことは言う。だが、小さい見直しひとつ、そんな調子で処理する。大きい話では、みんなそれっぽいことを言う。だが、本当に考え方が出るのはこういう小さい場面である。しょうもない確認をどう扱うかのほうが、むしろ正直である。
実績がないなら、考え直すのである
そもそも、「実績がない」は却下理由そのものにはならない。実績がないなら、そこで考え直すのである。
なぜ前例がないのか。何が論点なのか。リスクはどこにあるのか。どこまでなら試せるのか。小さく始める余地はないのか。
本来はそういう話になるはずである。
実績がないからダメ、で終わるのは簡単だが、それは判断ではなく停止である。考えた結果として難しい、ならまだ分かる。すなわち、簡単に何も考えずに「実績がないので」は、ただの思考停止である。
実績は、待つものではなく作るものでもある
数年イノベーションの現場にいた感覚で言えば、最初はだいたい実績がない。そんなものは当たり前である。
だからこそ、どう作るかを考える。小さく試す。失敗しても致命傷にならない範囲で動かす。結果を見て修正する。そうやって実績を自分で作っていく。少なくとも、変化だの見直しだのを口にするのであれば、そこまで含めて仕事である。
先行事例をなぞるだけなら、学習済みAIがその役割を十分果たしてくれる。前例に沿って無難に処理するだけなら、その仕事が知的労働に分類される職種であれば、生身の人間がいる意味はかなり薄い。
却下するなら、背景を説明する必要がある
もちろん、何でも通せという話ではない。ダメなものはダメでよい。
ただ、拒否するなら拒否するで、その理由を背景から説明する必要がある。
コストに対して効果が薄いのか。
制度上の制約があるのか。
運用負荷が現実的でないのか。
他の制度との整合が取れないのか。
優先順位として今ではないのか。
そこまで言って初めて、判断になる。
「過去に実績がないので難しいですね」は、その説明を放棄している。拒否そのものより、そこが雑なのである。理由のような顔をした断り文句で話を終わらせるのが、可哀想だった。
返す気が失せた
議論するほどの話でもないし、たぶんその場でどうこうなるものでもない。その感覚で普段仕事をしていて、しかもたぶん自分たちでは変だと思っていないのだろう。
我々はイノベーションで結果を出す企業ではなかったのか、と思った。変化が大事で、既存の枠にとらわれない。そういう話ではなかったのか。
だが、その場で何かをうまく返したところで、本質は変わらなかったと思う。問題は一言の表現ではなく、その言葉が自然に出てくる感覚のほうだからである。まあ、よくある大企業病である。
自分までそうならない
厄介なのは、こういう空気に長く触れていると、こちらまで鈍くなることである。
過去に実績がない。
前例がない。
だからやめておこう。
だが、その感覚まで自分の人生に持ち込む必要はない。
副業も、転職も、発信も、投資も、最初はだいたい実績がない。
実績がないなら、考える。
どう作るかを考える。
試せる形に分解する。
それだけの話である。
不確実な時代に必要なのは、過去の実績をなぞることではない。
実績がないものに対して、まず考えること、そのうえで小さく試すことである。
本当にまずいのは、実績がないことではない。
実績がないものを見た瞬間に、考えることまでやめてしまうことである。
